反抗期、思春期の子どもたちとの会話をまともに受けとめると、
「自分の子育てがまちがっていたのか・・・」とか
「この子はちゃんと社会の中で生きるおとなになれるのだろうか・・」と
悩み苦しむことがあります。
いやいや、反抗期でなくても、
きょうだいげんかで1人が一方的に暴力を振るっていたり、
親は耳をふさぎたくなるようなことばでののしりあったりしている場面に遭遇すると、
叱るより、情けなくなる自分がいます。
不登校のお子さんのいるママからは、
あれこれ想像したあげく
一番悪い場面を想定して学校に行けなくなっている子どもへの
励ましや勇気づけの毎日に疲れて、
「もう親をやめたいです・・」という相談もよく受けます。
「きしょい」「うざい」と言う子どもからのことばにショックを受けたり、
心配し、力になりたいと思っている親の気持ちが伝わらない、と
がっかりするおとなの声も、よく聞きます。
でも、長年、うちの子よその子関係なく、さまざまな子どもたちと接していると、
これらは、
子どものことばをそのままストレートに受け取ってしまったことによる
気持ちのすれ違いであることが多いと気づく場面があります。
成人し、社会人になった子どもから、
「あの時、あんなこと言ったけど、ホントはこんな気持ちだった」と
過去を振り返っての解説を聞いたり、
毒舌を吐き、弱きをくじいてばかりの子が、
ネコや小動物に優しく声をかける場面を見たりするうちに、
子どもたちのことばの奥にある「気持ち」に耳を傾けることの大切さを感じます。
おとなは、とかく子どもが発したことばだけに反応し、
そのことばの前に子どもたちがどんな状況だったのか
~たとえば学校で恥ずかしいこと、いやなことがあってイライラしていたとか、
おなかが減っていたとか、
やろうと思っていたことがうまくいかなくてムシャクシャしていたとか、
小さい子だったら眠いとか、
いくつになっても自分が親から愛されているのか不安、とか~の
気持ちを落ち着いて想像しないことが多いように思います。
おとなだって、いやなことがあったり、急いでいるときは
ことばもぞんざいになったり、怒りっぽくなったりします。
人それぞれ、イラッとくるスイッチも違います。
自分や子どものスイッチに気づき、
押さずにすませる気持ちの切り替え方法を考えておくと、
とりあえず穏やかな日常が過ごせます。
ちなみに、こんなことばは、こう変換すると怒らなくてすむという、
浅井家版「思春期語」翻訳は、
「わからん」「しらん」「忘れた」 ⇒ 「別に言いたくない」「聞かんといて」
「うざい」 ⇒ 「ほっといて」「しつこい」
すれ違いざまに「チッ」 ⇒ 「こんな私(ボク)でも、キライにならないで」
「産んでくれなんて頼んでないし」 ⇒ 「それでも、産んでくれたんだよね」
「覚えてたら」「たぶん」 ⇒ オッケー!
「は?」「ムリ」 ⇒ OKって言えなくて、ごめんね!
「別に・・」「どうでもいい」 ⇒ 「わかった」
「・・・・・」(聞いても無言) ⇒ 「大好き!」「ありがとう」
こんな思春期も、過ぎてしまえば「おとな」な関係が待っています。
素直になれない子どもの声の奥にある「気持ち」を感じられるおとなになるためには、
ちょっぴり学びと体験も必要。
9月から始まる、子どもNPOはらっぱ主催の「子どもの声を聴くおとな養成講座」
(10回連続講座)など、いかがですか?