抜けた歯の行方

小崎 恭弘(大阪教育大学教育学部 准教授)

更新:2017-02-07


 三男が小学校6年生の時のお話です。

 思春期の入り口にようやく立ち始め、こどもから少年へと、変貌を遂げようとしています。近くで見ているのも楽しくもあり、まためんどくさくもありますが、こどもの成長の一つの証と思いつき合っています。
 そんな彼の一つの変化が「歯」が抜けることです。小学校の低学年からぽろぽろと抜け落ち、年間何度か歯のないちょっと間抜けな感じ、あるいは面白い感じになります。また一度に3本抜けることもあり、なにやら食べにくそうにしていた時もありました。

 「抜けた歯はどうするの?」と聞かれました。
 私がこどものころは、上の歯が抜けた時は、縁の下に投げ捨てていました。また下の歯が抜けた時は屋根の上に投げ捨てていました。「そこに投げることで丈夫な歯が生えてくる。」自分の祖父からそういうふうに教えてもらいました。何の疑問もなくそういうものだと思い、いつも投げ捨てていたように思います。長男、次男もそのようにしてきました。

 保育士として働いていた時、5歳児クラスは結構歯が抜ける子どもたちが多くいました。保育所では投げ捨ててはいませんが、パパやママたちも同じように、屋根や床下に投げていたように思います。河原に投げ捨てるという、豪の方もおられました。

 しかし今は、なかなかそうもいきません。うちの家は5階建てのマンションです。もちろん屋根もありませんし、屋上もありません。ちなみにうちは1階なのですが、さすがに上まで歯を投げる自信ありません。そして庭はあるのですが、縁の下も床下も見当たりません。歯を入れる隙間さえもありません。このままでは、歯を投げ捨てる場所がありません。
 彼に「どこか投げに行く?」ときくと、以外にも「いや!大切においておく」という返事。そこから彼は、ぬけた歯を大切にコレクションしています。小さな缶にきれいに洗った歯をしまいこんで、ジャラジャラと音をさせて喜んでいます。一度見せてもらいましたが、正直怖いものです。
 「それどうするの?」と聞くと「自分の大切な身体やったんやから、大切にしておく。これからも抜けたら全部集めておく!」と、さも当然のようにコレクション宣言です。僕自身はそんなこと考えたことはなかったですが、こどもの発想の面白さを感じました。

 確かに抜けた歯は自分の成長の証です。乳歯はとても小さくて、今思えばかわいいものでした。僕は講演会などでパパやママたちに「二本の歯のかわいさ」という話をします。「乳児の前歯が二本しか生えていない時期があります。その時はとってもかわいい!そしてそれが4本になってもかわいい。そして歯が生えそろうとその姿が当たり前になって、二本や四本の可愛さを忘れてしまう。だから二本は二本の時のかわいさを、四本は四本のかわいさを実感して、充分に味わってください!」
 子育てにおいて、こどもの成長のその瞬間、その時々の姿を大切にすることを伝えています。歯の抜け生える姿も、ひとつのこども達の成長の変化です。その時々を親として自分も大切に見てあげたいと思いました。僕が今度歯が抜けるのは、多分老化でしょうから。

 歯一つとっても、人はそれぞれに成長し変化します。また同時に過去を忘れて生きていく生き物です。本人もそして周りもそうです。それが一つの成長であり、また人間の営みでしょう。といって、過去を全部忘れてしまったり、捨ててしったりすることはちょっともったいない。「温故知新」春にふさわしい言葉のように感じます。
 過去をすっかりではなく、少し忘れながらも、その時々の楽しさや今しかできない充実感も持ちながら、一歩踏み出していきたいですね。

 

執筆者

  • 小崎 恭弘
  • 大阪教育大学教育学部 准教授
  • 1968年生まれ、兵庫県出身。
    専門分野:児童福祉、子育て支援、保育学 研究テーマ「男性の育児支援のプログラムとシステム」 主な著書「我が家の子育てパパしだい」(旬報社)「パパルール」(合同出版)「ワークライフバランス入門」(ミネルヴァ書房)「男の子の本当に響く叱り方・ほめ方」(すばる舎)
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